たけがみじゅんこのちょっといい話

2014.02.04

たけがみじゅんこのちょっといい話:見えない闇の怖さ

 3年ぶりに雲仙に行きました。いつもは長崎から車で小浜温泉を通り、雲仙に入るのを定番コースとしていましたが、今回は気分を変え、熊本からフェリーで島原に渡り、雲仙普賢岳をぐるりと回る逆回りコースにしてみました。
 雲仙普賢岳は桜島のようにもうもうと煙を上げているわけではありませんが、12年ほど前の噴火で生まれた平成新山の姿は今も生々しく、島原の街を見下ろしています。以前の噴火は寛政4年(1792年)だったということですから、地元の人によると「次の噴火は自分が生きている間は起きない」らしいです。
 島原の町には近代的な記念館が建ち、地元の若い女性たちが普賢岳噴火の様子を映像やパネルで紹介をしていました。大きな災害もそれが過去になった時、地域学習の場や観光拠点として、こうして利用ができることを改めて実感しました。
 そんな思いから「もうすっかり平和な町ですね。」と言うと、地元のその人は首を振りながら「そうでもないンです。この頃恐ろしいのは普賢さんではなくPM2.5でしてね。今日は曇りのように見えますけど、あれはPM2.5の影響でどんよりしているンですよ。臭いもないし、音もないし、気がついた時には肺がやられとるという、やっかいなものです。水俣病の時もそうでしたなぁ」と遠い目をしながらおっしゃる・・・。そうです。確かに何となく原因は分かっていても元を断つすべもなく、空が黒くなっていない町に暮らしているとその影響すら分からないまま過ごしている私たちです。
 煙の出る山の町に住んでいる人たちは、先人たちの経験から、山から煙や火が噴いた時、どう自然に向き合っていけば良いのか分かるそうです。けれど姿のない新型の災害に先人の教えはなく、現行の対応策も具体的ではないので、何かが誰かに起こってみないと分からないというやっかいなものだと嘆いていらっしゃいました。風に乗ってやってくるPM2.5も、福島で事故を起こした原子力発電所から漏れる放射能汚染水も、そのような新型災害のひとつですし、私たちはまだそれを乗り越えてはいません。
 善きことであれ悪いことであれ、経験は次の対処を作り出していきます。普賢岳でいえば先人たちの教えや、教えを伝承する仕組みがそれですね。けれどこれは災害にだけ言えることではありません。一例で職場の環境に置き換えてみました。
 例えばカッカと煙をはいて切れる人は、周囲は感情をつかみ対応をすることができますが、物言わぬ人たちの間に広がる闇を見落としてしまい、気づいた時は悪意を持つ人が混じる淀んだ職場になっている。そんな悪例が最近、群馬の食品製造工場で起きました。
 とはいえ自然災害も事故も人為的な災害も、何らかの小さな異変から始まるはずです。忙しいことを理由に周囲の異変を見過ごすのではなく、まずは自分を取り巻く小さな異変に敏感になっていかなければなりません。

代表取締役社長 竹上順子

2014年02月